*中天満神社(なかてんまんじんじゃ)創建年代は、不明の中天満神社ですが、神社周辺には、数基の古墳が存在しており(3世紀から7世紀までの間に築造された大きな段状の墳丘墓)このような状態からもわかるように、中村(地名)は、昔から歴史の古い集落の一つで、平安時代に編纂された「和名抄」(わみょうしょう)には、綴喜郡十郷の一つとしてその名が記載され知られている。
中天満神社の創起・沿革は、明らかではなく、神社の社殿に残されている棟札(むなふだ)「寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付ける札です」のうち最も古いものは、慶長11年(1606)であるためおそらく神社の建築は、これより早い時代だと考えられています。
江戸時代「慶長8年(1603)から慶応3年(1867)」には、中天満神社の境内で「雨乞い」の神事も行われ、また慶応3年(1867)には、「おかげ踊り」(江戸時代の後期に各地で流行した伊勢神宮の集団参拝の様子)が盛大に催されている記録が残っており、神社の拝殿正面にかけられた「おかげ踊り絵馬」には、その様子が当時のままに生き生きと描かれています。
本殿は、覆屋(おおいや)「貴重な文化財や史跡等を雨風から保護するため、それらを覆うように建設された簡易な建築物」を持つ一間社流れ造りの檜皮葺(ひわだぶき)になっており、正面の梁の上の蛙又には、獣や鳥などが透彫されている、これは、当時の古い神社建築物の様式を残すものとしては、とても貴重な物です。中天満神社境内には、末社として右側には、須久祢神社(すくねじんじゃ)正森社・左側には、蛭子神社(えびすじんじゃ)があります。
中天満神社のすぐ隣に龍福寺という浄土宗のお寺があり、本尊は、昔東大寺から譲られた「阿弥陀如来坐像」であり、創建は、延宝2年(1674)です。
龍福寺の創建は、慶長12年(1607)に曇誉(どんよ)と言う僧侶が創建したのが始まりと伝えられています、その後、奈良の東大寺から「阿弥陀如来坐像」を譲り受けてお寺の本尊とし、天保8年(1837)に再建したと言われています。大正12年(1923)にお寺は再び火災で焼失したが翌年には再建され現在にいたっています。
基本情報
・開門時間 参拝自由
・住所 京都府城陽市中黒土66
・御祭神 菅原道真:天神様=道真公です、学業の神様以外に農耕の神・天直、至誠の神・冤罪を晴らす神・渡唐天神・芸能の神・厄除け神の7つのご利益があるとされています
・旧国郡 山城国久世郡中村村
・アクセス JR奈良線JR山城青谷駅から徒歩約10分
コメント