*近畿日本鉄道富野荘駅
富野荘駅(とのしょうえき)は、京都府城陽市枇杷庄鹿背田(びわのしょうかせだ)にある近畿日本鉄道(近鉄)京都線の駅です。駅番号はB15。
昭和3年(1928)11月3日・奈良電気鉄道の桃山御陵前ー西大寺(現在の大和西大寺)間開通時に開業しました。駅名は、当時の富野荘村より、昭和38年(1963)10月1日・会社合併により近畿日本鉄道京都線の駅となりました。
令和6年(2024)1月10日より終日無人化駅となり、駅構造としては、相対式2面2線のホームを持つ地上駅です。改札口および駅入り口は東西2ヶ所にあって、トイレは2番線ホームに設置されています。無人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機が設置されています。
2023年11月7日における1日乗降人員は、5184人です。駅周辺のメディア・スポットとしては、京都府立西城陽高校・城陽市立今池小学校・今池コミュニティセンター・南部コミュ二ティセンター・城陽富野郵便局・阿弥陀寺・極楽寺・富士書房、富野荘店があります。
バスの路線としては、城陽さんさんバス・プラムイン城陽長池線・アル・プラザ城陽/水主団方面があります。運行時間は、1時間おきとなって京都京阪バスによって運行されています。ICOCAなどの交通系ICカードが使用可能です。
*枇杷庄天満宮神社(びわのしょうてんまんぐうじんじゃ)木津川沿いの住宅地の中に鎮座しています。創建は不明で、近世までの沿革も不明です。本殿は、江戸初期の造営1960年(昭和35年)、堤防の工事にともない旧神社境内から30メートルほど北の現在地へ移築しました。枇杷庄天満宮神社は、旧枇杷庄村の産土神(うぶすなかみ)であり祭神は、天満天神「菅原道真公」(すがわらみちざねこう)です。
*菅原道真(すがわらみちざね)845年に京都に生まれ、5歳で和歌を詠み、33歳で学者として最高の文章博士に就任して優れた学者でした。右大臣にまでのぼりつめましたが、左大臣・藤原時平の政略で無実の罪をきせられて九州・太宰府に左遷されます
現存する棟札(むなふだ)によると、本殿は、寛永4年(1627)に近村の大工により造営されて、近年では、昭和35年の木津川の堤防改修で、南の旧地から約30メートル北に移築され、翌年の第二室戸台風により損壊(そんかい)したため、昭和37年に屋根を鉄板葺に改めるなどの修復が行われました。
枇杷庄天満宮神社の本殿は、側面を二間とする三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、三間の向拝をもち近世初期における山城地方の神社建築を知る上で貴重な遺構の一つであり、城陽市指定文化財(建造物)です。神社そのものの由来は、よく分かっていない上、ネットなどで調べても情報など、極めて少ない状態です。
地域は、城陽市枇杷庄と呼ばれる場所で、元々は、水輪(ミワ)と呼ばれ、川の流れが大きく湾曲していて、その場所が湿地帯になっていたので水害なども多かったのではないでしょうか?このように呼ばれていたのが、長い年月の中で枇杷に転じて、現在の枇杷庄と呼ばれるようになったのでないでしょうか。
また、この地には、かつて枇杷庄城という平城があり、ここの守護大名が隣接する水主城を攻め込んだ事により、山城の国一揆が起こる事態に繋がっていくことになります。
・山城国一揆(やましろのくにいっき)は、文明17年(1485)山城国(現在の京都府南部)南半の上三郡(久世、綴喜郡、相楽郡)で国人や農民が協力し、守護大名畠山氏の政治的影響力を排除して、以降8年間に渡り自治を行った事変です
・山城枇杷庄城は、木津川右岸にある大堀地区にある枇杷庄天満宮神社から西側の住宅一帯に築かれていたそうです。
築城年代や築城者は、定かではないが文明17年に「畠山長政」(はたけやまながまさ)に与した。斎藤彦次郎が入り寺田城、外野城に入ったのち長政の軍勢と共に水主城を攻めています。元亀4年には、「織田信長」(おだのぶなが)に敗れた「足利義昭」(あしかがよしあき)が一時的にこの城に入っていることがわかっています。
*織田信長(おだのぶなが)尾張国の織田信秀の嫡男、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、足利義昭を奉じて上洛した。後に足利義昭を追放して織田政権を確立して天下人になった戦国武将です
*足利義昭(あしかがよしあき)室町幕府・15代征夷大将軍、約230年間続いた室町幕府最後の将軍です。兄で第13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)が暗殺されると、室町幕府を復興させるため当時、勢力を伸ばしていた戦国大名「織田信長」の力を借りて将軍となります。義昭は、豊臣方と和睦を結び、京都から追放されてから15年のときを経て、ようやく帰落を果たします。その後、1588年(天正16年)に足利義昭は正式に将軍職から退き、出家しました。
基本情報
・ご祭神 菅原道真(すがわらみちざね):(天神様)・学業の神・農耕の神・正直、至誠の神・冤罪を晴らす神・渡唐天神・芸能の神・厄除の神の7つのご利益があるとされます。
・開門時間 参拝自由
・住所 京都府城陽市枇杷庄大堀1
・旧国郡 山城国久世郡枇杷庄村
・文化財 城陽市指定文化財
・アクセス JR奈良線JR長池駅から徒歩約25分
近鉄京都線富野荘駅から徒歩約6分
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