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京都府城陽市・近畿日本鉄道京都線久津川駅と平井神社

*近畿日本鉄道京都線久津川駅

久津川駅(くつかわえき)は、京都府城陽市平川東垣外にある、近畿日本鉄道(近鉄)京都線の駅です。駅番号は、B13。昭和3年(1928)11月3日・奈良電気鉄道の桃山御陵前ー西大寺(現在では大和西大寺)間の開通に伴い開業しました。

その後、昭和38年(1963)10月1日に会社合併によって近畿日本鉄道京都線の駅となりました。駅の構造は、相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、上下線で個別に改札口が設けられています。無人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機が設置されています。

利用状況については、2023年11月7日における1日の乗降人数は、6364人です。駅周辺のメディア・スポットとしては城陽市立久津川小学校・城陽平川郵便局・城陽平川西郵便局・芭蕉塚古墳(久津川古墳群)当サイトに掲載されています・久津川車塚古墳(久津川古墳群)当サイトに掲載されています・平川廃寺跡平井神社当サイトに掲載されています・京都銀行(久津川支店)・京都中央信用金庫(久津川支店)・城陽市地域ふれあいセンター・城陽市立老人福祉センター陽和苑・北部コミュニティセンターがあり、路線バスとしては、京都京阪バス「久津川」停留所などがあります。

*平井神社(ひらいじんじゃ) 創建年代は、不祥真言宗蓮開寺(ふしょうしんごんしゅうれんかいじ)の配下として江戸時代中期の1733年には、地域の旧平川村の氏神として、古くから人々の信頼を集めてきました。当時は、「牛頭天王社」(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていましたが、平川廃寺跡付近にありましたが、その後の火災によって焼失して現在の地に遷座されて、明治二年(1869年)に現在の「平井神社」と言う名前に改められました。

*平井神社内・不詳真言宗蓮開寺

*牛頭天王(ごずてんのう)祇園精舎(ぎおんしょうじや)「約2500年以上も前のインドで、釈迦が活躍された時代の僧侶の修行の場所」の守護神としてまつられた神様、京都の祇園社(八坂神社)の祭神も牛頭天皇です

牛頭天王(ごずてんのう)と言うのは、神仏習合神と仏とを調和させ、同一視する思想で、神道と仏教の同化を示すもの、奈良時代に起源をもち神宮寺の健立が行われた。)の神様であり、平安時代(延暦13年・794から文治元年・1185)には、何度も起こる疫病や災難に対して、それを退散させ納めるために花笠などを持った人々が行列して厄除けを行った。これが祇園祭の起源と言う説も考えられています。

*祇園祭:今からおよそ1100年もの前に、清和天皇(日本の56代天皇)の貞観11年に疫病が流行して庶民の間に多くの病人や死者が出ました。そこで66本の矛(ほこ)を立て、悪疫を封じ込むために御霊会を行ったのが祇園祭りの始まりとされています。八坂神社の祭礼で、その祭事は、7月1日の「吉符入」(きっぷいり)に始まり7月31日の「疫神社夏越祭」(えきじんじゃなごしさい)までおよそ1ヶ月にわたって行われます。中でも祭のハイライトは、7月17日と7月24日に行われる八坂神社の神輿渡御(みこしとぎょ)と34基の山鉾巡行です。「京都祇園祭の山鉾行事」は、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

*牛頭庭園

近鉄京都線の久津川駅のすぐ西側に「平井神社」の境内があり(元は、同市「城陽市」の平川廃寺跡の場所にあった)駅前には、地元のスーパーや飲食店があり駅の乗降客も多く普段から人通りが絶えません。両側に杉や桜の木が植えられ、長い参道をぬけると平井神社の本殿の前に出ます。

*近鉄京都線久津川駅

平川廃寺跡(ひらかわはいじあと)京都府城陽市平川古宮にある古代寺院跡、昭和50年(1975)11月25日に国の史跡に指定されています。(平成20年・2008に追加指定もありました)旧大和街道沿い久津川古墳群の中心付近に位置していて、赤塚古墳に接する場所にあります

*平川廃寺跡

赤塚古墳(平川廃寺跡の西側の外側付近で見つかった古墳、南側に造り出しを持つ直径約22・5mの円墳で、使用された埴輪(はにわ)の年代より5世紀位と思われています。(5世紀とは西暦401年から西暦500年までの100年間を指します)現在は、史跡後の公園として伽藍(がらん)中心部の塔跡と金堂跡のみを残し、それ以外の寺域部分には、民家が建っています。(伽藍とは、侶が集まり修行する清浄な場所)礎石や基壇の復元は行なっておらず、建物跡は、土壇で確認できるだけです

*赤塚古墳

平川廃寺は、奈良時代中頃「和銅3年(710)から延暦3年(784)」に創建され、かつては、山城国分寺に匹敵する奈良時代の南山城地域を代表する大規模な寺院だったと見られています。大規模な塔を配置して塔・金堂を囲む回廊は、東西約82m 南北約65m 寺域は、東西約175m南北約115mと推定され、寺域西側に塔や金堂の中心的な建物を持ち東側に付属的な建物を配置していた大きな寺院です。

・史跡・恭仁宮(くにのみや)跡「山城国分寺跡」 今から1300年前に木津川右岸瓶原(みかのはら)・「木津川市加茂町」に恭仁宮が造られ首都となりました。天平12年(740)10月に聖武天皇(日本の第45代天皇)は平城京を離れ、伊賀・伊勢・美濃・近江などを行幸して、同年の12月に恭仁宮に入り遷都を宣言しました。その後、天平16年(744)2月に難波宮(なにわのみや)へ遷都され翌年の天平17年(745)5月には再び平城の地に都が戻りました。恭仁宮が都として置かれたのは、5年の短いものでしたが、その間天平13年(741)には国分寺・国分尼寺建立の詔(しょう)「天皇の言葉」、天平15年(743)には大仏造立の詔、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)「農民が新規で開拓した土地について永久に所有を許可するという法令」の発布などがあり、歴史上極めて重要な時期でした。昭和32年(1957)7月には国の史跡に指定され、平成19年(2007)2月には史跡名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」となって宮跡全体が守られています」現在では、大極殿(金堂)・礎石と七重塔礎石が残っています。

塔や金堂などの中心的な建物が火災で焼失してしまい、その後再建されることなく、平安時代初期「延暦13年(794)から文治元年(1185)」に廃絶したと見られています。文献には記載が無く寺名は、地名の平川寺院と名乗ったらしいです。出土した瓦から創建は、奈良時代中頃で奈良時代末期から平安時代初期に修理が行われていることが分かり、修理後まもなく塔と金堂は、火災により焼失して寺は、再建されることなく姿を消しました。 

*赤塚古墳と平川廃寺跡までのアクセス

 ・近鉄久津川駅から徒歩約15分です。

平井神社の本殿は、正保二年(1645)に建てられたもので、構造は、一間社流造で象鼻を彫刻した海老虹染で身舎(もや)と向拝をつなぎ中央に蟇股(かえるまた)が置かれています。これらの細部の装飾は、桃山時代の華やかな彫刻がほどこされてその当時の意匠を伝えています。

祭神は、江戸時代には、疫病に霊験あらたか牛頭天王でしたが、明治時代になって三神を祭るようになりました。

・牛頭天王:牛頭天王は、釈迦の生誕地に因む祇園精舎「釈迦が説法をしたという古代インドの僧院」の守護神とされた。京都祇園の八坂神社の祭神で日本における神仏習合の神様です。疫病を防ぐ神で薬師如来を本地仏として神道におけるスサノオ神と同体です。素戔嗚尊(すさのおのみこと)日本神話のなかで活躍する神様。「古事記」「日本書記」によると天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟であるが、乱暴な行動が多かったので、天上の高天原(たかまがはら)から追放された。

*平井神社・祭神

・神速須佐之男命(かむはやすさのおのみこと)江戸時代までは、疫病に霊験あらたかな牛頭天王(ごずてんのう)日本における神仏習合の神様です。暴風の神として、厄払いの神様として信仰されている。荒々しい乱行により天上界から追放されるが、ヤマタノオロチ退治に成功するなど正義感が強く知恵者としての一面を持っており、多面性のある神様とも言える。こうした英雄的側面から武神として崇められることもある。

・櫛名田比売(くしなだひめ)江戸時代までは、頗梨采女(はりさいじょ)八岐大蛇(やまたのおろち)伝承でスサノオがオロチから救うことを条件に妻に迎えられた女神。その名前が「奇し稲田」と表さられることから稲田の女神とされるが、スサノオが八岐大蛇に挑むとき櫛(くし)に姿を変えたので櫛を挿(さ)した女性、すなわち巫女を意味したのではないかとされる。通常スサノオと共に祀られる。

・八十猛命(やそたけるのみこと)江戸時代までは、八王子権現(はちおうじごんげん)近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰と天台宗・山王神道が融合した神仏習合の神様。景行天皇(第12代天皇)に命じられて九州南部の熊襲(くまそ)を平定し、さらに東国に派遣されて蝦夷(えみし)を討ち、帰途疫をえて伊勢に没した。その間に草薙剣(くさなぎのつるぎ)の霊力や弟橘媛(おとたちばなひめ)の入水、尊の死後その霊が白鳥と化すなどの話があり、特に「古事記」には多くの説話があります。

*平井神社本殿

境内には、本殿の東側にある境内社に若宮神社があり、桃山時代の古様を今に伝える貴重な建物として、鳥居は、時代が明らかに古い明神鳥居」(みょうじんとりい)として昭和62年(1987・3月)京都府の登録文化財となりました。

・明神鳥居(鳥居):は歴史的に最も古いタイプの鳥居です。伊勢神宮などで見ることができます。2本の柱の上にまっすぐな木材を乗せ、さらに柱と柱の間にもう一本木を渡して強度を増したものです。神社の入り口にある鳥居は、神社の内側の神聖な場所と人間の暮らす場所(俗界)との境界を表しています。鳥居は神社へ通じる門や、シンボルといった役割の他に神社に不浄なものが入ってくるのを防ぐ結界の役割があります。

その他境内に蓮開寺という小さなお寺があり、これは、神仏習合時代の頃には、各地に見られたものだが、神仏分離によって全国的に無くなったがここでは、いまだに同じ境内に神社とお寺が併存している姿が見られる全国的に貴重な神仏習合の神様のケースとなっています。

蓮開寺のお寺でも春期には春のまつりが毎年開催されています。

蓮開寺 このお寺の創建年代は、明らかではありません。江戸時代には、氏神社に付属した真言宗の寺で宮寺とも呼ばれ、平川村の祈願所でもありました。

この寺の僧侶が氏神社の管理人的役割も果たしていた当時は、神と仏を厳密に区別しない神仏習合という考え方が一般的でしたが、明治維新にともなう神仏分離により、全国各神社の宮寺は、廃止され僧侶も不在となりました。しかし、ここ平川では、いまなお地区全体でこの蓮開寺を守り続けています。

*蓮開寺春まつり(城陽市指定無形民俗文化財

 毎年2月15日の春まつりでは、江戸時代に寄進された大般若経全六百巻を転読し、村の安全を祈願する行事です。

*蓮開寺(春まつり)

基本情報

*年間行事

 ・1月1日(元旦祭) ・2月15日(春祭) ・10月定日(おいで祭) ・12月15日(お焚火祭平井神社)

*開門時間 参拝自由

*住所 京都府城陽市平川東垣外79

*旧国郡 山城国久世郡平川村

*連絡先 平井神社 0774ー55ー4361

*アクセス 近鉄京都線久津川駅 西隣

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