*水主神社(みずしじんじゃ)木津川の東岸・城陽市水主宮の水田に囲まれた地に鎮守の森があり、京都府城陽市・水主宮馬場に鎮座する式内社です。式内大社で旧社格は、府社です。「延式」(えんぎしき)神名帳には、大社とあり、古くは、有力な神社だったようです。
古くより賀茂両大社、住吉大社と並び雨乞いの神として崇敬されてきました。合祀(合わせて祀る)された衣縫大神に大縫命(おおぬいのみこと)、小縫命(おぬいのみこと)を祀り和裁や洋裁の聖地として信仰を集めています。末社の樺井月(かばいつき)神社や月読命(つきよみのみこと)、野神神社に天菩日命(あまのほひのみこと)、金刀比羅宮(ことひらぐう)に大物主命(おおものぬしのみこと)。稲荷神社に倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀っています。また、社名と当地の地名の「水主」は、「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)山城国久世郡の「水主郷」の遺称です。
*延喜式(えんぎしき)平安時代中期の延長5年(927)成立の法制書です。この内9巻・10巻は全国の神社を紹介しておりその部分を「神名帳」と呼んでいる。全国の古代神社史の基礎資料です
水主神社の創建は、「崇神天皇」(すじんてんのう)の時代と伝えられています。古くは、水主郷の鎮守社として祀られていました、平安時代には、延喜式神名帳に「水主神社」として起載され、式内社に列しています。江戸時代には、水主神社の社殿が再建され、森の中の南面向かって祀られており、古くかは雨乞いの神様として崇拝されてきました。
*崇神天皇・日本の10代天皇(すじんてんのう)記紀によれば四道(しどう)将軍を派遣して大和朝廷の領域を広げ、国家の財政制度を確立した天皇です。崇神天皇は開化天皇・第9代天皇の子供であり、学説では初代神武天皇から開化天皇まで架空の人物と考えられていますが、崇神天皇は、実在性が高いとされており、3世紀後半〜4世紀初頭の天皇だったようです。
天安2年(858)に雨乞い、貞観元年(859)には、風雨祈祷がされるなど、国史では、水主神社への祈雨奉幣の記事が散見され更に「延喜式」臨時祭では、祈雨神祭八五座(祈雨神祭85座とは、『延喜式』巻3「臨時祭」の祈雨神祭に預かると記載された神社52社と神々の総数85柱のことです)に選定され祈雨に対し霊験が強いとされています。
拝殿より奥は、鉄格子に守られており、本殿や境内社も含めていずれもその中にあるため、本殿前まで近寄ることは、できません。正面に「水主神社本殿」があり、本殿は、寛政十年(1798)の再建によるもので流造・二間・二間半・檜皮葺で割拝殿は、入母屋造、八間半・二間、瓦葺。一間社流造、檜皮葺です。左側に「樺井月神社」(かばいつきじんじゃ)、右側に「衣縫神社」(いぬいじんじゃ)が鎮座します。
樺井月神社は、水主神社の境内に鎮座する式内社で「延喜式」の神名帳には、大社とあり、御祭神は、「月読命」樺井月は、(かばいつき)と読み、元は木津川の対岸にあったと言われています。綴喜郡樺井に鎮座していましたが、木津川の氾濫によって寛文十二年(1672)に水主神社に遷座(せんざ)したと伝えられています。社伝によれば承和(じょうわ)二年(845)に山城国綴喜郡・相楽郡で京畿に牛の感染症が流行し、家畜を吸血する虻(あぶ)がウイルスを媒介し、綴喜、相楽両郡の多くの牛が感染し死滅(しめつ)の危機に瀕しました。当社の祟りであると占いで出たために勅使(ちょくし)が当社に祈願したところすぐに収まったと伝えられています。これ以来に牛馬の守護神としても信仰を集めたようです。
水主神社に合祀された衣縫神社は、本殿に一緒に祀られています。お祀りされている神様のおひとりの天香語山命(あめのかごやまのみこと)の子どもの天村雲命(あめのむらくものみこと)から九世紀の孫にあたるのが大縫命(おおぬいのみこと)と小縫命(おぬいのみこと)です。成務天皇・日本の13代天皇の時代に志賀(しが)の高穴穂の宮(今の滋賀県大津市穴太)で、その当時の天皇をはじめとしてた高貴な方が着用する衣装を縫う仕事について、衣縫の名前を与えられていたようです。これによって「衣縫の祖神」・「衣縫大神」として昔から崇拝されています。その祭神である「大縫命」(おおぬいのみこと)、「小縫命」(おぬいのみこと)は、今なお裁縫関係者の信仰を集めていて有名な祭神の対象となっています。
末社・樺井月(かばいつき)神社には、「月読命」(つきよみのみこと)金刀比羅宮(ことひらぐう)に「大物主命」(おおものぬしのみこと)稲荷神社に「倉稲魂神」(うかのみたまのかみ)を祀ります。当社の創建年代は、不明ですが、この地に居住した「水主氏」が祖神を祀ったのが当社の始まりだと考えられています。この氏族が当社を創建したものだと諸説あります。
本殿は、寛政10年(1798)の再建によるもので、一間社流造檜皮葺です。「延喜式」神名帳に十座とあり、これほど多くの神を祀る式内社は、極めて異例です。またその中で「水主坐天照御魂神」「水主坐山背大国魂命神」を十座の二座であり、この二神だったことがわかっています。
水主氏の祖神である「火明命」は、別名として「日本書記」一書に「天照国魂彦火明命」と書かれており,また「先代旧事本紀」には、「天照国照彦天火明饒速日尊」とあります。後者は、物部氏の祖神の「饒速日尊」と同神との扱いになっており、水主氏と物部氏が同祖なのかは、不明ながら、「延喜式」に見える「水主坐天照御魂神」とは、水主氏の祖神としてこの神を指したものと思われます。
・物部氏(もののべうじ) 古代の中央豪族、物部は、氏姓時代(〜7世紀)に「大伴氏」(おおともうじ)とともに大和朝廷の軍事・刑獄を司った。大伴氏の失脚後さらに栄えたが、百済・聖明王が献した仏像の礼拝問題といった仏教の受容問題が原因で「蘇我氏」と争い587年守屋の時に蘇我氏によって攻め滅ぼされた。物部守屋(もののべのもりや)は、古墳時代の大連の有力豪族である
*大伴氏(おおともうじ)古代の中央豪族姓(かばね)は連(むらじ)、のち宿禰(すくね)。大連(おおむらじ)として国政に参与して、大和政権の軍事を担当した。継体天皇(けいたいてんのう)を擁立した6世紀・金村のとき全盛期を迎えたが、527年に金村が任那(みまな)4県を百済(くだら)に与えるなど失政により失脚して衰退した
*蘇我氏(そがうじ)6世紀〜7世紀前半に大和政権下で一番勢いのあった豪族。朝廷の財政を預かって勢力を蓄え仏教などの大陸文化の移入に努めた
・主祭神・天照御魂神(あまてるみむすびのかみ/あまてるみたまのかみ):太陽を初め光や慈愛、真実などを象徴する最も尊い神様と言われており、皇室の祖先とされています。
・主祭神・天香山命(あめのかぐやまのみこと):越後開拓の祖神であり、またその御事蹟(ごじせき)から、人々の魂・生命に溌剌(はつらつ)とした活力を御授けくださる神様
・主祭神・山背大國魂命(やましろのおおくにたまのみこと):厄除け、八方除(はっぽうよけ)、開運、縁結(えんむすび)の神として崇拝される。
・祭神・大縫命(おおぬいのみこと)・小縫命(おぬいのみこと):水主神社にお祀りされている神様の1人天香語山命(あめのかごやまのみこと)の子供の天村雲命(あめのむらくものみこと)から9世紀の孫にあたるのが、大縫命(おおぬいのみこと)と小縫命(おぬいのみこと)と言われています。衣縫神社は和裁の聖地とも言うべき場所です。
水主神社の例祭は、4月29日に行われる「衣縫大祭」です。このお祭りは、裁縫の神様である大縫命(おおぬいのみこと)と小縫命(おぬいのみこと)を祀るもので、裁縫の上達や衣服の安全を祈願します。
・「針供養」例祭のメインイベントは、針供養です。裁縫で折れたり、曲がったりした針を豆腐に刺して供養し、裁縫の神様に感謝を捧げます。この針供養は、裁縫を生業とする人々だけでなく裁縫が趣味の人や、裁縫道具を大切に使いたいと願う人々にも人気があります
・「神楽奉納」例祭では、神楽奉納されます、神楽は、日本の伝統芸能のひとつで、神様に舞いや音楽を奉納するものです。水主神社の例祭は、地元の氏子たちが神楽を奉納し神様への感謝と五穀豊穣を祈願します
・「露店」例祭には、多くの露店が立ち並びます
基本情報
・ご祭神 ・天照御魂神 ・天香語山命 ・天村雲神 ・天忍男神 ・健額赤命
・健筒草命 ・健多背命 ・健諸隈命 ・倭得玉彦命 ・山背大國魂命
・全国神社祭祀祭礼総合調査によると ・天照御魂神 ・天香語山命 ・山背大國魂命 ・大縫命 ・小縫命 五柱です
・開門時間 参拝自由
・住所 京都府城陽市水主宮馬場30
・旧国郡 山城国綴喜郡水主村
・アクセス JR奈良線「JR長池駅」徒歩約20分

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