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京都府城陽市・粟神社

*粟神社(あわじんじゃ)京都府城陽市市辺大谷に鎮座する式内社です。「式内社(しきないしゃ)延喜式の神名帳に記載されている神社です」

粟神社の社伝によれば、孝安天皇(こうあんてんのう)『「日本書紀」「古事記」に第6代と伝えられる天皇』の御代(みよ)「天皇による治世や、その在位の期間を敬っていう語」、平間山の麓の百舌ヶ原(現代地不明)に少名彦名尊(すくなひこなのそん)と高御産霊神(たかみむすひのかみ)が現れ、一柱は、椎の木に・一柱は、榊の木に降臨し、乙足彦連という人物に「我を祀れ」と夢のお告げがあったので、探してみると椎(しい)の木の下に粟の穂が、榊(さかき)の木の下には、稲穂が生えていたため、そこに粟神社の社殿を建てて祀ったと伝えられています。

元々の神社の位置は、東方800mほど、青谷川の上流側の「松尾」というところに鎮座していたと伝えられています。

この粟神社の社伝に基づくと当社の御祭神は、少名彦名尊と高御産霊神となりますが、現在は、御祭神については、不明とする資料が多く本当の御祭神は不明です。

粟神社の祭祀氏族については、粟田朝臣(あわたあそん)や粟直(あわあたい)などが名前から考えられますが、特に当地との関係が見いだせず祭祀氏族としては困難な状態です。

・直(あたい)ヤマト政権のもとで行なわれた姓(かばね)の一つ

・朝臣(あそん)平安時代、五位以上の貴族男子の姓または名の下に付けて敬意を表した

粟を徳島の阿波(阿波国)と見なし忌部氏(いんべうじ)が当地に居住したとも考えられますが、それを証する資料や証拠もありません。忌部氏(忌部氏と言う氏族は宇治古代朝廷における祭祀を担った氏族)なお市辺の集落は、かつて粟神社の鎮座地付近にあったものの、青谷川の氾濫により下流の側へ移転したと伝えられています。

神社は、この地に残されていますが、今や集落から離れた森の中の小さな神社になり、半ば人々に忘れられたような状態になっています。

基本情報

・開門時間 参拝自由

・住所 京都府城陽市市辺大谷68

・御祭神 少名彦名尊(すくなひこなのみこと):日本神話の神。古事記では、神産巣日神(かむむすひのかみ)の子供です。日本書紀では、高皇産霊尊(たかひむすひのみこと)の子供です。体の小さい神で、大国主神と協力して国づくりを行い後に常世国(とこよのくに)に帰った。医療祖神として仰がれ万民を難病から救う神として信仰されています。 

 ・高御産霊神(たかみむすびのかみ):日本神話において宇宙の創造と生命の誕生に深く関わる重要な神様です。古事記や日本書紀に登場するこの神様は、天地がまだ形成されていない混沌とした初期の宇宙から現れ、宇宙創生の過程で活躍します。高天原の神々の中でも高い地位を持つ神様で、宇宙や自然の調和を保つ役割を持っていて、宇宙の秩序を維持し万物の生命を育む神様として信仰されています。

・旧国郡 山城国綴喜郡市辺村

・アクセス JR奈良線JR長池駅から直線2・83km徒歩約1時間07分

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