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京都府城陽市・芝ケ原古墳

*芝ケ原古墳「国指定史跡」(しばがはらこふん)

京都府城陽市の寺田大谷にある古墳時代(3世紀半ばから7世紀末頃)でも古い時代に作られた古墳です。平成25年に古墳や周辺地形を復元した古墳公園として大きな広場や休憩場(トイレの含む)を設けて整備されています。昭和61年の発掘調査での出土品の状態や出土物から、卑弥呼時代(西暦約200年から250年)日本最古の古墳として注目されました。この古墳(土を高く盛り上げた墳丘を持つお墓)は、前方後方形の古墳で、後方部は東西約21m・南北約23mの大きさがあります。後方部の中心には埋葬施設である組合式木棺が納められ、貝輪(かいわ)「貝で造られた腕輪」をかたどった銅釧(どうくしろ)「青銅製の腕輪」や銅鏡(どうきょう)「銅合金製の鏡」玉類(たまるい)「古代から人々を魅了するアクセサリー」などが出土しています。中でも銅釧は完形な形で出土するのは全国でこの古墳が初めてです。国が指定する史跡に指定されており、古墳からの出土品も一括で重要文化財として指定され城陽市文化パルク内の城陽市歴史民俗資料館に展示されています。

*芝ヶ原古墳土壇

*城陽市歴史民俗資料館「五里ごり館」(じょうようしれきしみんぞくしりょうかん)旧石器時代から近現代までの城陽市の歴史をたどる常設展時室から市内から発掘された出土遺物や文書、民具などを紹介しています。城陽市が京都から五里(約20km)奈良からも五里に位置する事から「五里ごり館」とも呼ばれています。

*芝ヶ原古墳イメージキャラクター

・卑弥呼(ひみこ)卑弥呼がいた時代は西暦約200年〜250年であり弥生時代から古墳時代の初期にあたります、日本列島の色々な地域で国の形成が起こり国家へ進化する過程の国形の時代です。魏志倭人伝によると卑弥呼は邪馬台国を統治して、中国の魏(ぎ)とも外交によって交流があったとされます。

*芝ヶ原古墳案内板

・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)倭人伝には3世紀の倭(日本)には女王の都が存在していた邪馬台国があった事や沢山の国が存在していたことが記されています。朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国までの行程や、人々の生活習慣について書かれています。邪馬台国とは2〜3世紀の弥生時代において日本を代表する大国でした。中国の史書の「三国志」内にある「魏志倭人伝」にて記載が残されています。邪馬台国は「卑弥呼」が治めていた女王国であって、卑弥呼は1000人の召使いに身の周りの世話をさせて占いやまじないが得意で、天候を予測したり豊作や戦いの勝利を祈ったと考えられています。

*芝ヶ原古墳全容

基本情報

・所在地 京都府城陽市寺田大谷

・アクセク JR奈良線「城陽駅」下車 徒歩15分

・開園時間 9:00〜17:00 11月〜1月 9:00〜16:30 12月29〜1月3日は閉園・無料

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