*城陽市 森山遺跡(もりやまいせき)
城陽市の西緑を南北に流れる木津川沿いで丘陵の小高い場所にあり、昔の人が営んだ生活の様子が縄文時代後期今から約4000年前(世界でも珍しい縄目の文様をもった縄文土器が使われた時代、これらの時代は、紀元前300年頃まで)から古墳時代(3世紀末から6世紀中頃までの約350年)今から1,400年前の間でよく分かる集落跡です。縄文時代の集落は、広場を中心にU字型に六棟の竪穴住居が作られていました。また、集落の南の端には、配石遺構(はいせきいこう)と呼ばれる石を並べたお墓が見つかっています。集落では、20〜30人くらいの人々が生活していたと考えられおり、石器や土器が多く出土していて縄文時代の集落は、後期(約4000年前)のもので、大小の竪穴住居が多くみつかっています。竪穴式住居がたびたび建替えられた跡がないことや出土した土器から森山の集落は、短い期間の集落だったと考えられています。その後、この地に再び人々が住み始めるのが、弥生時代後期・今から約1,800年前です。竪穴式住居二棟と甕(かめ)を使ったお墓(甕棺)が見つかっています。古墳時代前期(今から1,600年前)になると一辺45mの周りに溝を持つ方形の盛土(方形周溝状遺構・ほうけいしゅうこうじょういこう)とこれをとりまく七棟の竪穴住居が営まれ、この方形周溝状遺構は、周囲に溝や柵列の柱穴があることから豪族の館跡ではないかと考えられています。森山遺跡は、昭和51年(1976)に宅地造成中に発見された遺跡です。南山城地方では、縄文時代の住居跡や縄文土器がまとまって見つかったのは、初めてであり、また方形周溝状遺構は、全国的に珍しい遺構であることから、遺跡の中心部約4,850平方メートルが昭和53年(1978)2月8日国史跡に指定され保存が図られました。平成8年(1996)3月には整備が行われ、森山遺跡は、京都府南部では最大級の集落跡の遺跡です。


*竪穴住居(たてあなしきじゅうきょ)地面に深さ50cmくらいの円形の大きな穴を掘り、5本〜7本の柱を立て、その上に屋根を作った住居です

周囲を溝で囲まれた土壇(方形周溝状遺構)が見つかり、構造や土器から古墳時代前期(約1600年前)の豪族の住居跡なども発見されており、この他、弥生時代や古墳時代の竪穴住居も発見されています。
*弥生時代(やよいじだい)今から約2300年前(紀元前3世紀)から1700年前(3世紀)までをいい、この時代は中国大陸や朝鮮半島の文化の影響を強く受けて、鉄製の道具や鏡や剣のような青銅製の祭器などを持つようになりました



基本情報
・所在地 〒610ー0111 京都府城陽市富野森山
・アクセス JR奈良線長池駅 徒歩約15分

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