城陽市域に残された道標や石碑です。健立場所や地名にスポットをあてます
・城陽市平川指月にあり、市内で最も古い道標です。高さ69cmの道しるべ「指月の碑」江戸時代初期の物と言われており「左 うじみち」と刻まれています。
・城陽市寺田丁子口の交差点にあり、正面には、八幡近道・木津川渡船。右側は、石清水八幡宮。裏面は、昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建之と書いてあります。

京都府城陽市長池にあり、京都へ5里、奈良へ4里半 城陽市が 五里五里と言われるようになりました。

・深廣寺や賀茂神社と山城青谷駅との間、北方の道が合流するところに「梨間の宿の碑」があり、昔宿駅であった事を偲ばせる道標です。
・市辺北山の梅林には「元弘役 松井蔵人館旧跡」と記された道標があります。松井蔵人は鎌倉時代の御家人であり、軍記物語の「太平記」には、元弘の乱で笠置を脱出した後醍醐天皇を発見した人物です。
・以仁王(もちひとおう)は、後白河天皇の第3皇子で三条高倉に住んでいたため「高倉宮」と呼ばれた。平家により皇位の望みが絶たれ挙兵したが敗北、南都に逃れる途中打ち取られた。
・建武年間(1334〜1346)の城氏の居館があった場所とされる、(中城とも呼ばれる)現在では石碑か立っているだけです。三宅碑こと「三宅安兵衛遺志碑」の1つです。
・市辺押盤皇子という人物は、履中天皇(りちゅうてんのう)の皇子であつたが暗殺された。この地に市辺押盤皇子が居住していたことから市辺と言う地名がついたとされる説があるが詳細は不明である。


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