山城枇杷庄城跡
*山城枇杷庄城(やましろびわのしょうじょう)城陽市木津川右岸にある大堀地区の天満宮社から西側の住宅地一帯に築かれていました。地区内には、城の遺構らしきものは何も残っておらず、資料によれば、「フルヤシキ」・「ミカンヤシキ」と呼ばれていた。枇杷庄城の築城年代や築城者は不明ですが、文明17年に畠山政長(はたけやままさなが)に与した斎藤彦次郎(さいとうひこじろう)が入り、その後寺田城・外野城に入った。長政方の軍勢と共に水主城を攻めている。元亀4年には、織田信長に敗れた足利義昭が一時的に入っていることもある。
基本情報
・所在地 京都府城陽市富野大堀
・アクセス 近鉄京都線富野荘駅から徒歩約15分
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