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京都府城陽市の城・山城・市辺城

山城市辺城跡

*山城市辺城(やましろいちのべじょう)奈良方面につながる大和街道と東に向かい田原郷から近江に通じる街道の分岐点を抑える位置にあり市辺地区の西生寺・北側の丘に築かれています。現状は、民家敷地となっていて立ち入る事は出来ませんが、敷地東側には堀切の遺構が残っています。その他民家敷地内南側は丘の斜面を削って切岸状になっています。市辺城は、南北朝時代に松井氏によって築かれました。

南北朝時代とは14世紀の半ばから末までの50余年間の南北朝内乱の時代を言います。鎌倉時代と室町時代の中間になり、広義的」には室町時代に含まれます。通常1336年(延元1・健武3)足利尊氏が北朝の光明天皇を擁立し、それに対して後醍醐天皇が吉野に移り南朝を開いた時期をその始期とします。

松井康之(まついやすゆき)(1550〜1612)戦国最強の家老、松井家初代・康之 室町時代末から江戸時代初期にかけて活躍した武将。最初は将軍・足利義輝に仕えていましたが、義輝が暗殺されるとやがて細川家と主従関係を結び藤孝の家臣として活躍します。

基本情報

・所在地 京都府城陽市市辺字城下

・遺構 曲輪・土塁・堀切 ・形式 丘城 ・築城者 松井氏 ・築城年代 南北朝時代

・丘城(おかじろ)戦国期によく見られた丘城は、舌状大地(でつじょうだいち)「台地が平地にのぞむ末端の部分で、舌のような形状で平地側に突き出した形となり、ある特定の方向では本体の台地に連続しているものの、他の三方は、崖や斜面などを成して低地に面しているような地形」や小高い丘の上のみに縄張りが行われた城です。その丘城のふもとに曲輪をもうけたものが近世の平山城です。代表的な平山城には、江戸城・姫路城・岡山城・熊本城などがあります。

・アクセス JR奈良線山城青谷駅から徒歩約15分 ・駐車場 なし

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