・城陽市JR長池駅②
西日本旅客鉄道(JR西日本奈良線)長池駅は、京都府城陽市長池北裏72にある駅です。駅番号は、JR-D13。木津駅起点で奈良駅から19.7kmで駅の構造は、地上駅(橋上駅)・ホーム2面2線・1日の乗降人員は、2370人・開業年月日は、1896年(明治29年)です。
城陽市の南の玄関口として位置づけられ、奈良線宇治駅が管理している業務委託駅です。「ICOCA」のICカード乗車券利用エリアになっており、近畿圏エリアに含まれています。歴史としては、1896年(明治29年)1月25日に奈良鉄道の桃山駅ー玉水駅間延長と同時に開業しました。現在の橋上駅舎になったのは、2012年(平成24年)5月26日に橋上駅舎の竣工式が行われ自由通路の使用が開始され、5月27日に橋上駅舎が使用されるようになりました。


駅の構造は、相対式のホームで2面2線を有する地上駅で、駅舎の意匠(いしょう)は地名(駅名)に因んだ「池」や城陽市の花である「花しょうぶ」に因んでいます。
簡易式の自動改札機が設置されており、下は当駅から上狛駅まで「みどりの窓口」「みどりの券売機」「定期券がお求めになる発券機」が無いためこの区間の定期券を購入するためには、区間外にある城陽駅や木津駅などで買うしかありません。
利用状況は、2023年度の1日当たり2370人です。駅周辺の状況は、南側には大和街道沿線に発展した宿場町を起源とする伝統的な住宅地があり、北側には昭和40年代から50年代前半ごろにかけて造成された新興住宅地などがあります。
城陽市も駅を交通結節点として機能向上を図る目的で周辺街区の整備などを行って「都市再生整備計画」の事業が行われています。(駅橋上化もこの事業の一環として実施されました)周辺のスポットとしては、・荒見神社・森山遺跡・大蓮寺・旧長池宿・城陽長池郵便局・アルプラザ城陽。そして新名神高速道路の開通予定変更により2028年以降となった京都城陽プレミアム・アウトレット(仮称)があります。
将来的には、長池駅から片町線(学研都市線)の京田辺駅とを結ぶ「片奈連絡線」の建設構想もあります。駅南側出入口を南下したのち、府道70号線を西進した場所に「長池駅口」停留所があり(駅から250m程度)城陽さんさんバスの路線バスが運行されています。


JR長池駅から徒歩10分圏内のメディアをご紹介します。
・長池のいわれと伝説②(JR長池駅西側出入り口すぐ)長池は富野村の枝郷であり、昔この地にあった長池にちなんで伝えられている話があります。 むかし奈良街道に三百メートルはあろうという長い長い池があり、そこには、悪い大蛇が住んでいて近くに住む人に悪さをはたらいていました。若い娘さんなどは、大蛇が池から顔を出してこちらのほうをジロリとにらんだだけで腰を抜かして動けんようになったそうです。
困り果てた村人たちは、「このままでは池の主にみんな丸呑みにされてしまう。なんとか神さんに退治してもらえんやろか」と近くの神社におがみ回った。するとある日、どこからともなく刀を持った人があらわれ、大蛇をばっさりと切り捨ててまた消えて行ったそうです。
村人はびっくりして大喜びで「きっとあれは行基菩薩さんの化身に違いない、ありがたい、ありがたい」と騒いでおったが、死んだ大蛇の尾から立派な剣が出てきたので大和の石上神宮に奉納して差し出したそうです。
それからは池も静かになり村は栄えました。今はもうこの池は埋め立ててありませんが、長池という地名はこの池からきているそうです。山州名跡志(さんしゅうめいせきし)巻16という本に載っていたり、大和・今の奈良天理市の石上神社には、そのときの剣が祀られているそうです。


・長池の道標① 長池の集落の西側には、昭和3年(1928)に三宅安兵衛の意志を受けて建てた道標があります。主面には、「是北京都街道」、左側には、「南奈良街道」、背面には「昭和三年秋禀京都三宅安兵衛遺志健之」と刻まれています。また「京都五里」、「奈良四里半」という刻字からこの地が京都と奈良の中間点であったことがうかがえます。
当サイト内に記事があります。(京都府城陽市・道標と石碑)
・森山地蔵堂③ 長池駅前にあり長池西町森山地蔵講の家々によって祀られています。昔は森山の山中にお堂があり、そこから移してきたという伝承もありますが、成立年代など詳しいことはわかっていません。また、この地蔵堂には2匹の虎が描かれた蒔絵虎図絵馬が伝わっています。寛永9年(1632)奉納されたものでこの絵馬は平成16年(2004)に城陽市の指定文化財となり、地蔵堂内には、レプリカが架けられています。実物は城陽市民族資料館に保管されて定期的に公開されています。(城陽市歴史民族資料館・当サイトの内に記事があります)


・旧旅籠「松屋」④ 松屋は長池宿で古くから旅籠を営んでいました。元禄期(1700年頃)の記録にもその名が見られ、江戸時代後期には、京都から伊勢や吉野などにお参りする町人たちの定宿として利用されていました。文化元年(1804)に京都・大阪・江戸の商人によって組織された浪花講では、函館から熊本・長崎に至る宿場の定宿を案内した地図が作成され長池では松屋の名があげられています。松屋は安心して宿泊できる宿として全国的な浪花講に加盟していました。松屋には旅籠関係の資料が数多く残されており、昔の旅や宿場の様子がわかる貴重な資料として昭和62年(1987)に京都府登録文化財に認定されました。


・北清水・放示邸のヨコメガシ⑤ ヨコメガシはアラカシの園芸種です。放示邸のヨコメガシは推定樹齢100年、葉に白い模様が入って珍しい木として「城陽市名木・古木」に認定されています。当サイト内に記事があります(京都府城陽市・名木、古木)
・旧長池郵便局⑥ 明治37年(1904)に放示九一郎が木造平屋建の旧長池郵便局を建てました。建物の瓦には、郵便局のマーク「〒」を見つけることができます。隣に長池郵便局があります。


・大蓮寺⑦ 大蓮寺は、元和2年(1616)に鈍誉大念によって再興された浄土宗知恩寺の末寺です。池徳山と号し、本堂に本尊阿弥陀如来像を祀っています。境内には、「嶋利兵衛の碑」、「長池宿助郷の碑」、「新町庄衛門之墓」があり、「嶋利兵衛の碑」は、江戸時代中期に琉球芋栽培方を流刑先から学んで帰り、その栽培方法を広めた嶋利兵衛とその妻を祀っています。四角の基礎石から高さは86cmでサツマイモをかたどっています。薩摩芋は、唐芋、琉球芋などとも呼ばれて江戸時代後期には、盛んに栽培されました。「長池宿助郷の碑」は明治21年(1888)に助郷軽減運動に尽力した大同栄造の顕彰碑です。「新町庄左衛門之墓」は昔の地主であった新左衛門が所有地を新町町中に寄付したので、町内有志が昭和10(1935)に供養碑を建てました。
・⑧ 新町地蔵堂・ ⑨梅村泰一家 母屋は、明治6〜8年(1873〜75)と伝える切妻造・浅瓦葺の建物で、中二階部分を真壁としてむしこ窓を開け通り屁の下に出格子を二つ並べています。
・史跡森山遺跡⑩ 森山遺跡は、長池駅の北約100mにあり、東からのびる標高35から38mの丘陵上にあって縄文時代から古墳時代にかけて営まれた集落跡です。縄文時代の遺構は、円形の竪穴住居六棟と配石遺構一基、埋石一基が見つかっています。竪穴住居は、直径が約10mある大型のもの三基と直径が4〜5mの小径のもの三基があり、住居内では、炉の跡が見つかっています。出土した縄文土器から近畿地方でも数少ない縄文時代後期半ばの集落であることがわかっています。古墳時代の遺構は、豪族の棺跡と考えられる方形周溝遺構や竪穴住居などが見つかっています。昭和53年(1978)に国指定史跡となり、現在、市民の歴史学習の場として活用されています。 当サイトにてご紹介しています(京都府城陽市史跡森山遺跡)

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