*水度神社(みとじんじゃ)旧寺田村の「産土神」(うぶすながみ)です。 京都府城陽市の昔の寺田村・京都府久世郡にある神社です。寺田村は、京都府久世郡にあった村で現在の城陽市の中央北部、JR奈良線の城陽駅・近鉄京都線の寺田駅周辺にあたります。北は、久世村、南は、富野村・枇杷庄村、綴喜郡水主村に隣接し久世郡に属します。伝説によると、正面寺という寺があったが治承四年(1180)の平重衡(たいらしげひら)の南都攻めの際に焼亡。その焼跡に周辺から移住してきて、村落が形成されたと伝えられています。村の中央に正面寺・東大門・西大門の地名が残っていたと言われます。「京都府地誌」は、「主面寺跡、巨刹(大きな寺)ナリ、永久中兵火二亡ブ、後世土民其遺跡二観音堂ヲ造ル、夜叉観音即是ナリ、今又廃ス」と記すが、その跡地は、字東口と中大小のほぼ全域であったと言われています。村域の北東、山際の地には、正道遺跡と呼ばれる古墳時代の住居跡群と奈良時代の建物群による複合遺跡があり、奈良時代の遺構から久世郡の郡衙があった場所であると推定されています。近くには、七世紀から九世紀にかけての寺院と思われる正道廃寺跡や平川廃寺跡もあり古くから開かれた場所であったと思われます。 最寄り駅は現在の城陽市の北部JR奈良線の城陽駅(徒歩約15分)になり、近鉄京都線では寺田駅周辺(徒歩約25分)になります。「鴻ノ巣山」のふもとにある水度神社(みとじんじゃ)は、JR城陽駅から南へ約200mの場所に旧大和街道(京都から伏見を経て奈良に至る街道)があり街道沿いに面して立っている「一の鳥居」があり、ここから東へ行った所が鴻ノ巣山のふもとにあたります。そこに「二の鳥居」が有り二の鳥居を経て約600mの緩やか坂道の参道を登った所に水度神社の本殿があります。
*鴻ノ巣山(こうのすやま)城陽市の中心に位置して市のシンボル的な存在です。海抜117メートルで山頂の展望台からは、生駒・比叡・愛宕の山々を望むことができて、遊歩道の整備もされています。遊歩道沿いには、ツツジや桜などが植樹がされておりシーズンには美しい花を咲かせます。ハイキングには1時間程かかり坂や階段もあり小さな子供は注意して下さい

参道には、神社本殿へ向かって両側に松の古木、名木が数多く有り、多くの木々が植えられた並木道を通り抜け水度神社に向かう道「水度坂」を含めて地域の人々が朝の散歩道として利用しています。


「水度神社」境内の坂道は、赤松を交えた椎木林(しいのきはやし)で豊かな自然環境があり、「京都の自然200選」にも選ばれ、パワースポットとしてリフレッシュに最適な環境になっています。
*京都の自然200選 京都の自然200選選定事業は、平成2年7月に設定しました。「京都府緑と文化の基金」を活用して府内に所在する優れた自然環境を紹介し、これらの自然環境の保護と保全について府民の方々に関心を高めてもらう為に取り組んだものです。

概史としては、創建は、平安初期(平安京への遷都が行われた延暦13年(794)から鎌倉幕府が成立した文治元年(1185)とされる)と言われていますが、奈良時代の和銅6年(713)に編さんされた「山城国風土記」に出てくる事から風土記が編さんされた奈良時代には、存在したと考えられます。また平安時代前期に成立した「延喜式」(えんぎしき)「平安初期以来宮中における年中行事や制度などを集大成した事務規定」には、「水度神社三座」と記されています。
*山城国風土記(やましろこくふうどき)「平安京遷都以前の山城国の文化風土や地理的状況などが記録された地誌」
には、水度(みと)は、「水処」とされ水禍(すいか)の絶えない地であったことや水坊(すいぼう)の神様または、農耕の守護神として祀られた祭神でありました。更に奈良時代のはじめに水主神社と同じく「火明命」(ほのあかりのみこと)を祖とする一族である水主氏(みずしし)により当地一帯の治水作業の過程で創建されているとされています。
水度神社境内の本殿は、重要文化財であり正面一間、側面二間の一間社流造で文安5年(1448)に造営されており、市内に現存する最古の建物です。屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)で正面に大きな「千鳥破風」(ちどりはふ)「屋根の流れ面につけられる破風の一種」があります。千鳥とは、互い違いになっている状態で、両端を固定されたチェーンが垂れ下がった形で中央が垂れ下がった破風板を千鳥破風と言います。

神社の祭神は、「天照皇大御神」(あまてらすすめおおみかみ)太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ神様です。天岩戸の神隠しで有名な神で神社としては、三重県伊勢市にある「伊勢神宮内宮」が有名です。*高御産巣日神(たかみむすびのかみ)「古事記」では、天地開闢(てんちかいびゃく)「世界の始まり」の時 天之御中主神(あめのみなかぬし)の次に高天原に出現したとされる神様、続いて現れる神産巣日神(かむむすひ)とともに「造化三神」と言われています。
*古事記(こじき)日本神話から始まる日本最古の歴史書です
*天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)日本神話で高天原(たかまがはら)の主神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり、皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祀られています
独神「どくしん」日本神話において夫婦の組としてではなく単独で成った神(パートナーも性別もない)とされ農耕や生産に関わる生成神とされています。少童豊玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと)記紀の神話に登場する海神(わだつみ)の娘、様々な伝承や民話のモチーフとなった、「浦島太郎の乙姫のモデル」として有名です。
・浦島太郎(うらしまたろう)は、日本のお伽話です。亀を助けた報恩によって浦島太郎が海中の龍宮城に連れられ乙姫らの饗応(きょうおう)を受け、帰郷しようとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡されており、帰りついた故郷では、龍宮城で過ごした感じより遥かに長い年月が経っており、失意の余りに玉手箱を開けてしまった。それにより浦島太郎は、年老いた鶴、または人間の年寄りに化すると言う話しです。
縁結びや子宝 安産守護のご利益があります。これが水度神社三座です。
・天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ):アマテラスは、太陽の光をもたらし、大地の豊穣を司りました。また皇室の祖神としても崇められました。初代天皇である神武天皇はアマテラスの孫のひ孫にあらります。
・高御産霊神(たかみむすびのかみ):商売繁盛、医薬健康、開運招福、の神様です。日本に最初にお生まれになった神様のお一人で高皇産霊神(たかみむすひのかみ)のお子様で、大海の彼方・常世(とこよ)の国よりいらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをされました。
・少童豊玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと):トヨタマヒメは、古事記に登場する海の神様で、海幸彦(ウミサチヒコ)と結びついた物語で知られています。海神宮を訪れた火遠理(ほおり)命と結婚し、身ごもって子を産むために海辺にやってくるが、産屋の中でワニの姿で苦しんでいるところを覗き見されて怒り、子供をおいて海底の国に帰ってしまいます。

また清和天皇(せいわてんのう)に859年(貞観元年)従五位下の神位を授けられ、延喜の制には、小社に1873年(明治6年)に村社 1882年(明治15年)に郷社 1907年(明治40年)には、府社、現在は、社格は廃止され神社本庁に属し宗教法人水度神社になりました。
*延喜式(えんぎしき)平安時代中期に律令の施行細則をまとめた法典です。全50巻で古写本は27巻が現存し、1巻を除く残りすべては平安時代後期に書写された現存最古の写本であり、写本でこれほどまとまったものは見られない。摂関家の九条家に伝わることから、「九条家本」ともいう。
水度神社境内には、京都府登録文化財「おかげ踊り図絵馬」があり江戸時代1830年11月1日に寺田村北東町の人々が奉納したもので、おかげ踊り図絵馬(江戸時代後期に各地で流行した伊勢神宮への集団参拝の際に行われた踊りの様子を描いた大きな絵馬)があります。
*おかげ踊り:おかげ横長の名前の由来でもある「お陰参り」は、江戸時代に起こった群衆による伊勢神宮参拝のことです。その語源は、天照大御神の「おかげ様」で参拝を果たせる意味であったり、「おかげ様」で平穏無事であることの感謝であったり、長い旅の道中様々な人の「おかげ様」で参拝を果たせたなど諸説あります。
年間行事としては、例年9月30日から10月2日に行われる「例大祭」は、寺田祭ともいわれて古くから行われてきました。地域の繁栄の祈願巡行が行われ前日に「御旅所」にて巫女が鉄湯釜の湯を笹によって参拝者に振りまく「湯たて神事」も行われます。
城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大経」があり鉄湯釜は、湯立て神事に使われます。(応永三十二年に作れました)
*大般若経は、鎌倉時代前期の本にさかのぼる書写経で村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です
・新年祭(1月1日)・初年祭(2月中午の日)・祈年祭(春祭)4月29日 ・例大祭(神幸祭)9月30日 ・大祭(10月2日)・新穀感謝然(12月上旬日曜日)

*基本情報
・ご利益 水防の神と農耕の守護神
*水度神社開門時間 参拝自由
*住所 京都府城陽市寺田水度坂89
*旧国郡 山城国久世寺田村
*連絡先 0774ー53ー9870
*アクセス
・JR奈良線「城陽駅」駅下車 徒歩15分
・近鉄京都線「寺田」駅下車 徒歩25分
又は、「寺田駅東口」バス停から城陽さんさんバス「城陽高校」下車
パーキング 若干あり(無料)10台



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