*石田神社遥拝の碑「石田神社」
京都府八幡市上津屋里垣内に鎮座、木津川の右岸側の城陽市上津屋を含め、上津屋(こうずや)の産土神(うぶすながみ)です。社伝によれば大宝二年(702)に内里地区の山中に神が顕れ、上津屋の地に祀ったと伝えられています。
「源頼政の兵乱」(みなもとのよりまさのへいらん)「1180年」により社殿が焼失、「源頼朝」(みなもとのよりとも)「1188年」により復興されたといわれ、その後「元弘の乱」(げんこうのらん)で「楠木正成」(くすのきまさしげ)が当社に願文を奉納したと伝わります。
*源頼政の兵乱(1180年)騒乱が始まった平安時代末期に圧倒的権力の平清盛に対して敢然(かんぜん)と立ち向かい、武者たちの先陣を切ったのが摂津・源頼政(みなもとのよりまさ)です。源頼政は若い時より朝廷に仕える武士として京都で活躍し、当時の武士としては珍しく鳥羽院や美福門院から信任得ていました。伝説となった鵺(ぬえ)退治や歌人として当時の摂津源氏の代表的な武士となっていきました。しかし平清盛が後白河天皇を幽閉すると、源頼政も反平家として「以仁王」(もちひとおう)の挙兵に協力する立場を取りました
*元弘の乱(げんこうのらん)後醍醐天皇が元弘1年(1331)鎌倉幕府を倒そうと企てた政変
*楠木正成(くすのきまさしげ)鎌倉幕府の倒幕を決意した後醍醐天皇が、元弘元年(1331)に「元弘の乱」、正中元年(1324)に「正中の変」、を起こすがいずれも失敗に終わった。元弘の乱の時、倒幕準備をしていた後醍醐天皇に楠木正成が謁見したことに始まる。鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇は、島流しとなりましたが、楠木正成は戦いを続けていた。そうした所、元広3年(1333)に「足利尊氏」や「新田義貞」が戦いに加わり鎌倉幕府を倒幕した
伝承上は、皮肉にも鎌倉幕府を開いた人物が復興した神社に、鎌倉幕府を倒そうとする人が祈願した事になっています。
近世には「牛頭天王社」(ごずてんのうしゃ)と称していた当社は、明治年間に「石田神社」と改称しています。かつて「牛頭天王」を祀っており、すぐ近くを流れる木津川の度々の水害やそれに伴う疫病に対する守護を願って信仰されました。
基本情報
・現在地 上津屋野上
・アクセス 近鉄京都線「久津川駅」下社 徒歩25分 (1682m)

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