*樺井月神社(かばいつきじんじゃ)水主神社の境内に鎮座する式内社です。「延喜式」神名帳には、大社とあり、古くは、有力な大神社だったそうです。
樺井月(かばいつき)神社と読み元は、木津川の対岸にあったという、綴喜郡樺井に鎮座していましたが、木津川の氾濫により寛文十二年(1672)に「水主神社」に遷座したと伝えられています。
御祭神は、「月読命」(つきよみ)山城国綴喜郡には、同じく「月読命」を御祭神とする式内社「月読神社」があり、鎮座地の大住地区は、当社の旧地から距離は、なかったと推測されています。
大住の地は、大隅隼人(おおすみはやと)の人々がこの地に移住したことに因むと言われ、彼らの持つ月神の信仰が、月読神社の創建となっています。当社も同様に南九州の人々が信仰していた月神に起源を持つかもしれないと考えらています。月信仰とは、十五夜は月の出を待って満月を拝む信仰でした。これを月待信仰(つきまちしんこう)といいます。特定の月齢の月を鑑賞したり拝んだりする民間信仰で、しだいに下弦(かげん)の十九夜・二十三夜などにも月待が行われるようになりました。二十三夜は、16世紀頃には公家社会で行われ、やがて月待信仰の代表的なものになりました。月待ちつまり月の出を待ち祭る行事の一つで、これに参加する人々の集団を二十三夜講と呼びます。
・月読神社(つきよみじんじゃ)京都府京田辺市にある神社で、月読尊を祀る。この月読神社は、古来より伝わる隼人舞の発祥の地とされ、境内には、「隼人舞発祥之碑」が建てられています。大住準人舞は、京田辺市大住にある月読神社と天津神社で、毎年10月14日の夕刻に奉納される舞です。昭和46年に大住地区の人たちが中心となって、鹿児島県祁答院(けどういん)町、現・薩摩川内市の日枝神社に伝わる隼人舞をモデルにして復元されました。
・大隈隼人(おおすみはやと)日本書紀や続日本記では、今から1300年ほど前に九州の大隅地域から古代の南九州の薩摩・大隈地方に住む人々が、現在の京田辺市大住地域に移住した人々のことです。「おおすみ」が地名移転して、九州の「大隈」が京都の「大住」になったと言われています。隼人の人々は、当時、都がおかれていた平城宮の警備や芸能活動を行い朝廷に奉仕していました。
基本情報
・祭神 月読尊:黄泉の国の神、つくよみは、夜や月を司どるだけではなく海を支配するとも言われています。水や不老不死の生命力とも関係が深い神とされます。日本神話における男神・伊邪那岐(いざなぎ)の右目よりうまれたとされており、眼病平癒にご利益があるとして知れれています。
・開門時間 参拝自由
・住所 京都府城陽市水主宮馬場30
・旧国郡 山城国綴喜郡水主村
・アクセス JR奈良線「JR長池駅」徒歩約20分

コメント